読書日記・河合隼雄先生

河合隼雄著「子どもの宇宙」岩波新書を読む~「子どもと家族」編~

本章は、三つの部で構成されている。

 

そして、それぞれ「児童文学」を

 

引用されている。

 

1.憎まれっ子

 

「ラモーナとおかあさん」

という、児童文学

 

2.家出願望

 

「クローディアの秘密」

 

3.変革者としての子ども

 

「ふたりのロッテ」

 

である。

 

各部、気になった文を上げる

 

(1.)

 

「親は子に愛をいかに伝えるか、

 

そして親自身の行為を子供たちが

 

どのように受け止めているか、を

 

知ることに努力しないのは、親として

 

怠慢である」

 

「子どもは無茶苦茶をやっているように

 

見えて、あんがい意味の深いことを

 

やっている」

 

(2.)

 

「家出の背後に、子どもの自立への

 

意志、個としての主張が存在」

 

「素晴らしい家出がある」

 

「「家出」の現象の背後に、アイデンティティ

 

の確立という大切なことが存在」

 

「現在の家出の中には「家を求めての

 

家出」、「家が家でないことへの警告の

 

家出」というべきものも相当ある」

 

(3.)

 

「大人たちの生き方の変革者としての

 

子ども」

 

「児童文学は大人たちにおもいがけない

 

真実を開示する」

 

以上である。

 

~以下、感想~

 

もはや「児童」ではない、わたしですが

 

どうしても、実際「家出」してるので、

 

いろいろ「あてはめ」てみた。

 

わたしの「家出」もただ、逃げたんでは

 

ない、というのがよく分かった。

 

「実家」は、「家」ではなかった。

 

が、こうも「家出」の役割を知らされると、

 

どうしても「母」が存命中になぜ

 

「家出」できなかったのか、悔やまれる。

 

「母」自身が当時、どう考えていようと、

 

どうでもよい。

 

「家」「家族」がその役割を果たすために、

 

「劇薬」が必要だった。「劇薬」を用いれば

 

修復可能だったかもしれない。

 

「時すでに遅し」

 

母は、亡くなり、わたしも「出た」

 

河合先生も天国から

 

「真実を提示してるね」と

 

おっしゃっていることだろう。

 

と、考えるのは傲慢?

 

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA